生徒のテスト結果に対して良いとか悪いとかいうのはやめた方がいい。

こんにちは、オンライン講師のヒロです。

最近私の中で空前絶後の疾風怒濤の百花繚乱のブームになっている教え方があります。それは「テストが返って来た時に良いとか悪いとか言わない」ということです。

一般的に講師はテスト結果を見て「良かったね」とか「微妙だね」とか「これはダメだな」とか言ったりするものですが、私は以前からこれに違和感がありました。

なぜ講師が良いとか悪いとか決めるのか。

生徒の立場に言い換えれば、なぜ講師に良いか悪いか決められなければいけないのか。

テスト結果について良いとか悪いとか講師が言ってるとその価値観が植えつけられてしまい、他人の顔色を伺って自分の行動を決める人間になるような気がします。

点数が高いと人から褒められる、好かれる、低い点を取ると怒られる、嫌われる、という最悪の価値観です。

この価値観が植えつけられると、人間はミスを誤魔化そうとするようになります。悪化すると、他人の価値観を基準に行動する自分と、そうではない自分の2つの自分との間で行ったり来たりしなければいけなくなります。これは非常にストレスフルです。

失敗こそ成功するために必要不可欠な情報なんですが、それを誤魔化すとその重要な情報が失われます。その情報を物理的に隠蔽しているから悪いというよりも、その人自身の中でそれを冷静に受け止め分析することができなくなるから悪いのです。

他人がテスト結果について良いとか悪いとか言うというのはそういうことを暗に含んでいます。

実際、私が指導してきた生徒の90%はその状態になっていました。私が教え始めた時点でそうなっていることがほとんどです。体感では小学3~4年生の時点ですでにそうなってると思います。もしかしたらもっと早いかも。

これは非常によくない。

私は自分の行動は自分で決めることが人生において重要だと思ってるんですが、テスト結果について私が評価することで他人の顔色を伺うスキルを上げさせるのは、それを阻害することだと考えてます。

ということで、私は原則としてテスト結果について良いとか悪いとかを言わないようにしています。

良いとか悪いとか言って良い場合もあります。

それは生徒発信でテスト勉強をする場合です。生徒が本当の意味でテストを自分事とし、勉強に取り組んでいる場合は講師が評価しても良いと思います。ただしこの場合も私は結果については良い悪いの評価はしません。するのはプロセスです。

いつもテストが返って来た時に私はこんな感じで話し始めます。

「テスト結果はこうだけど、自分ではどう思う?」

そう聞くと「良かった」とか「悪かった」と返事が返ってくるので、さらにこう聞きます。

「具体的にはどの辺が悪かったと思う?」

「逆にここは良かったってところはある?」

これに対する返答で生徒がテスト結果に対して本当はどう思っているのかがだいたいわかります。具体的にどこが悪かったのか、良かったのかを説明できる場合は、自分のテスト結果に対して自分の価値観で評価できている可能性が高いです。

逆に説明できなければ、結果だけ見て良いか悪いか判断していることになります。それはまさしく植えつけられた価値観で判断していることにほかなりません。

この質問をする時に注意しなければいけないことがあります。それは、「人の顔色を伺う」という呪いにかかっている生徒は本心を隠して質問に答える可能性が高いということです。

生徒が「悪かった」と口にしたとしても本心ではそう思ってない可能性もあります。また、植えつけられた価値観を基準にそう言っていることもあります。

例えば数学のテスト。これまでの点数が60/100点で、目標を80/100点と設定しテスト勉強して、結果が60/100点だったとします。

この場合、多くの生徒がその結果について「悪かった」とか「良くない」とネガティヴな評価を口にします。前回と同じ結果にも関わらずです。

この例は、本当によくある事例なのですが、非常に根の深い問題を孕んでいます。

生徒に目標設定をさせると、多くの生徒が過去の結果よりも大幅に上方の目標を設定します。これは常日頃から「目標を持て」とか「目標は高い方が良い」と植えつけられているからです。

目標設定がその人の成長要因としてうまく機能するのは、それは本人が真剣に取り組んでいる、もしくは楽しんでいる場合のみです。

先の「呪い」にかかっている生徒は「目標を設定しよう」と言われると、「目標は高い方が良いんだよね」とか「目標は高く設定しないとなんか言われそうだな」とか考えて自分でも達成困難だと思うような目標を設定してしまいます。

そして、モチベーションが無いにも関わらず目標だけが高い状態でたいして勉強もしないので結果はお決まりのパターンです。そして、その結果に対して講師から「これは良くない」と言われるわけです。

塾ではこれが日常的に行われています。

塾講師や塾長の中には「目標設定をすることが良いことだ」、「目標を設定すればすれば生徒のモチベーションが上がる」と思い込んでいる人がかなりの割合でいます。

無理な目標設定

モチベないので勉強しない

結果が伴わない

「良くない」「努力が足りない」というマイナス評価

さらにモチベ下がる

また無理な目標設定

以下省略

塾に通わせてうまくいかないのはだいたいこのパターンです。

一般的な塾に通う生徒には様々な生徒がいますが、その多くはそもそも学力が低い、モチベーションが低い生徒です。学力が高く、モチベーションも高い人は塾なんか通わないですからね。

上述のことを理解していれば、彼らにいきなり目標設定させても無意味なことはすぐにわかるはずですが、それに気づかない塾関係者が多いのはなぜなんでしょうね。

理由はおそらく、塾で働いている人たちは比較的勉強ができる人だからです。勉強に対するモチベーションがあり、目標設定の重要性も理解しているからです。

塾に通っている生徒はプロのアスリートではありません。例えばプロ野球選手であれば、プロとして最低限の結果を出すことが求められますが、趣味で楽しんでいる人にそれと同じ結果を求めるのはお門違いです。ましてや、やりたいと思ってない人に対してだとしたら、何をか言わんやって感じですね。

勉強でも同じことです。

最近、NHKでやっていた真田丸を見直しています。その中で北条氏政が秀吉に切腹を命じられたとき、徳川家康らがどうにかしてそれを止めようとする回があるんですね。その回で、家康らが秀吉の軍門に下った氏政に会いに行き、命だけは助けてもらうように秀吉に掛け合うことを氏政に伝えるシーンがあります。

ところが氏政は武士としての誇りを全うしたいとそれを拒否します。

家康は「氏政本人に生きる意思がなければどうしようもない」ともらします。

誰かに何かを指導するというのはこれと同じだなと私は思いました。本人にその意思がなければどんなに良い勉強方法を教えたところで意味がないんですよね。これは長年指導して来て得た数少ない真理だと思っています。

ですので、そういう生徒に対して指導する場合は、勉強したいという意思を持ってもらうことが最優先だと思います。

そして、それは他人の顔色を伺うようなものではなく、勉強そのものの楽しさであるべきだと私は思います。それを見つけるサポートをするのが指導者の第一歩ではないでしょうか。

とはいえ、この指導システムはある意味では効果的に働いているとも考えることができそうです。このシステムは、他人の価値観の中で生きることを由とせず、その枠を超えて、というか存在しないものにし、行動できる人間をふるいにかけるフィルターとも考えられます。

例えば「ハマ色」という色があったとしましょう。実際に存在してるかもしれませんが、たぶんないです。なので私たちはその色がどんな色かもわかりません。もしこれがハマ色だよと見せられればその色が自分の好みの色なのか、それとも好きじゃない色なのかを判断することができます。

存在しない、説明もないものを評価することはできません。

それがあるからその悪い点、良い点が理解でき、改善していけるわけです。それを誤魔化したり隠蔽するのはもったいないですね。

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